2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

one day (983) 岸政彦 「図書室」など

Img0111

 

Img088

 

社会学者で小説家でもある、岸政彦さんの「図書室」を読了。

他の小説も良かったですが、私はこれがいちばん好きかも。

読後の余韻というか、肌触りというか、

とてもしっくりきます。

そして僭越ながら私のなかに岸さんと同じ部分を、

いくらか確認できるのです。

 

同じく収められている「給水塔」もグッときます。

なぜなら私も少なくない時間を大阪で過ごし、

大阪を愛し、そして岸さんと同じ大学、学部で

過ごしたからです。

 

「給水塔」を読むと、学生時代の思い出が鮮明に蘇ります。

3、4回生時は大学周辺に住んでいたので、

学生街で過ごす時間も多く、それだけ思い出も多く、

温かい気持ちになります。

切なさもありますね。

 

ゼミが終わるとそのままみんなで、

時には教官も交え食事をし、呑み、

そのまま誰かの部屋に流れて

朝までワイワイ騒いだり。

 

いまいち距離感がつかめない美しいひとと、

何度も食事をして不思議な時間を過ごしたり。

 

自分の人生を決定付ける出会いがあったり、

途方に暮れてひとりグランドをぼんやりと眺めたり。

 

なにかひとつのことに打ち込むような、

そんな大学生活ではなかったけど、

初めて経験することや

いろいろな人との出会いに恵まれた時間でした。

同時にいろいろな感情を覚えた期間でもありました。

そんなことが岸さんの文章から思い出されます。

 

岸さんには一度お会いしたことがあります。

旧知の小説家の方にご紹介して頂きました。

兼ねてよりお会いしたかったので、

とても嬉しかったですね。

 

岸さんには自分が後輩にあたることをご説明し、

在学中に薫陶を受けた教授をお伝えしました。

「いかにも、ザ・K大やな!」

そして私が取り組んでいる作品のお話もさせて頂きました。

いつも弱い立場のひとの側に立ち、

信頼できる兄貴分のような印象を持ちました。

 

今後岸さんを撮影できたら嬉しいですね。

先日その小説家の方を撮影する機会に恵まれましたが、

おふたりとも写真に極めて通暁されていて、

見透かされているような恐さもありますが、

ぜひチャレンジしたいですね。

 

大阪は本当に大好きで、

そして切なくなる街です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年9月22日 (火)

one day (982) 福沢諭吉からの、少し私の話へ

Img010_20200922122101

 

私は日本史が好きで、たまに歴史ものを読みます。

幕末以降のものが多いでしょうか。

まあ、ありきたりです。

 

高校時代、大学に合格しても日本史の課外授業に出続け、

教師に不思議な顔をされたのをよく覚えています。

センター試験では、日本史が唯一まともな点数でした。

二次試験が肝なんですが。

 

大学でも田舎の長男だということで、

教職課程を履修しました。

いまもあまり変わらないと思いますが、

教師を含む公務員か地銀しか、

安定した職がなかったのです。

僕の多くの仲間はいま、その職にあります。

 

教育学部ではなかったので余計に履修する単位が多く、

夜間の授業も含めてたくさん授業に出ました。

卒業に必要な単位の倍、取得しました。

 

3回生くらいから忙しくなり、

朝から授業に出ては、空いた時間に原付で

河川敷へ行き、サークル活動(もちろん野球)に勤しみ、

一汗かいては急いで大学に戻り、夜間の授業に出て、

その後は朝方近くまで製薬会社でアルバイトをするという、

無限の体力に任せた生活をしていました。

 

4回生になると就職活動が本格化し、

月並みに活動していた私は商社を中心にまわり、

それはドラマで観た商社マン役のトヨエツが

カッコ良かったからという理由もありますが、

それなりに忙しくしていました。

 

そして企業面接も佳境を迎えたころ、

鳥取の母校での教育実習が重なります。

進んでいた面接も全てキャンセル。

何歩後ろへ後退したことか、

というかゼロ地点まで、ですね。

頑張って作った繋がりも無駄にしてしまい、

謝罪の手紙を書きました。

 

母校での実習も無事終わり、というか、

毎日放課後にノックを打っていた記憶しかありませんが、

帰阪後、再びゼロからの就職活動へ。

 

当時は建前上は7月1日から就職活動が解禁ということで、

7/1の日経新聞の朝刊に企業の募集要項が掲載され、

ひとつひとつの商社に確認の電話をしていきました。

「まだ本当に、募集されていますか?」

 

4週間後、ご縁に恵まれ、翌年から4年半という短さでしたが、

人生を預ける場所を得ました。

まあ、宗右衛門町でたくさん吞んだ記憶しかありませんが。

 

そして苦労して取得した教職免許も更新制となり、

私の免許も半ば失効した状態です。

まあ未練もないし、今後再取得して使うこともないでしょう。

楽しい授業もあったし、仲間も出来たし、

血肉になっていることもたくさんあるでしょう。

社会や歴史に関して未だに関心があるし、

それで充分ではないでしょうか。

きっと作品制作にも活きているはずですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

one day (981) 福沢諭吉など

Img217_20200922120101

 

神宮球場/2019

この試合に勝った母校は、決勝で慶応義塾に敗退しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず/北康利」を読了。

北さんの本は読みやすくて、小林一三、白州次郎に

続いて3冊目。次は吉田茂ですね。

 

福沢諭吉については「学問のすすめ」や慶応義塾を

創設したことくらいしか浮かびませんが、

次に1万円札の肖像になる渋沢栄一と並び、

実業面でも多大な貢献をしたことを

初めて知りました。

 

明治生命や東京海上、横浜正金銀行等、様々な分野にわたり、

その設立に大きく携わったそうです。

 

また早稲田大学の創設者、大隈重信との絆も深く、

逆に伊藤博文や勝海舟との確執など、

興味深い話が満載でした。

 

大阪に産まれ、緒方洪庵の適塾に学んだのも意外でした。

北里柴三郎や後藤新平もたくさん諭吉に助けられたそうです。

愛と信念の人で、手紙もたくさん書いたとのこと。

声も大きく、情熱に溢れていた人だったようです。

お札が変わる前に読んでおいて良かったです。

 

(つづく)

 

2020年9月15日 (火)

one day (980)  私の話〜ことばに関して(その2)〜

Img224

 

鳥取/1999

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

前回の、ことばに関しての続きです。

 

関西弁と言っても各地域で違いがあり、

実は私もいまだによくわかっていません。

親しくなったひとに、その都度教わってきました。

 

長電話をしたり、食事をしたり、

何軒もハシゴしてお酒を吞んだり。

大阪のひとが多かったですが、

奈良や兵庫のひとも印象深いです。

桜井や能勢あたりの、声色やそのときの情景と併せて

よく覚えています。

 

長電話と言えば、私の学生時代はまだ携帯電話が

普及する前で、自宅の固定電話にかけていました。

関西は自宅から大学へ通学するひとが多いので、

そのご自宅へ電話することになるのです。

 

これ、結構緊張するんです。

誰が電話に出るか、シュミレーションしたりして。

お父さんが出た場合とか、いくつかことばを用意して。

まあ、よくある話でその時代のひとの多くは

経験していると思います。

 

そうやって緊張感とワクワクを伴って

何度もかけた電話番号は、

いつまでも記憶しているものです。

そして、かける理由を失ってからも何年、

何十年と覚えている。

意味のある数字の羅列ですからね、あれ。

 

覚えていても何の役にも立ちませんが、

いざというとき、

(いざって、いつ?)

なにか出番があるのでしょうか。

小説家だったら、例えば柴崎友香さんだったら、

どんな物語を紡いでくれるでしょうか。

 

話が方々に飛んで、すっかり着地点を失いましたが、

わたしの今後の生活に大阪のことばを増やしていきたいと、

そういうお話でした。

 

 

 

one day (979)  私の話〜「ことば」に関して (その1)〜

Img223_20200915094601

豊中/2001

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私が普段使っていることばに関して。

 

私は東京に暮らして随分経ちますが、

自分が東京のことば、標準語を使うことに

いまだにしっくりきていません。

借り物のようで、なんだかフワフワしていて、

身体性がまるで感じられないのです。

 

私のベースは故郷である鳥取県中部のことばです。

その次が大学、会社員時代に、多感な青春の季節を

謳歌した大阪のことばです。関西のことばです。

 

私が使う関西のことばは中途半端で怪しいものですが、

その都度その都度覚えたことばと出来事が密接に

繋がっていて、ちゃんと身体性を伴った

「わたしのことば」になっています。

 

社会人生活のスタートも大阪で、

かなりの緊張感を伴うヒリヒリした毎日、

激しく関西弁が飛び交う職場でもあり、

その記憶の影響下にあるいまでも、

緊張感を伴う必死な場面になると、

たいてい大阪のことばになっています。

撮影のときなどですね。

そこにはちゃんと身体性を感じます。

 

「おまえ、誰や?」

そういえば、会社員時代に初めて受けた

電話の声が、これでした。

ドス、効いてましたね。

有名な、大きな会社の社長でした。

標準語や下手な関西弁を使うと、

大阪湾に沈められるような勢いでした。

というか、よくそう言われていました。

 

そして標準語、東京のことばは3番目ですね。

もうひとりの自分が少し上のほうから、

いつもほくそ笑んでいます。

「なんや、それ?おまえ、だれや?」

 

今後は関西ことばを増やしていこうと思っています。

いまだにかなり怪しいわたしのことばですが、

それなりにしっくりきています。

根拠となる記憶が支えているのでしょう。

自分自身に対してその方が、

筋が通っているように思うのです。

 

特に東京で知り合った関西の方は、

いまだにお互い標準語で話すことが多いのですが、

率先して私のほうから関西ことばで話そうと思っています。

その方が何もかも早い気がします。

 

そんな感じで今後みなさま、

どうぞ宜しくお願い致します!

 

少しめんどくさい感じですいません。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

«one day (978)  私の話〜2001年 7月 ソウル (その3)〜