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2018年8月 6日 (月)

one day (775)   作家の声、歌手の声

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作家・村上春樹氏のラジオを聴いて、びっくりしました。
ほぼ初めて聴く声と、私がイメージしていた声とが
あまりにかけ離れていたからです。
もっとゆっくりした口調で、随所にくだらない話を織り交ぜ、
少しぐだぐだなものだと思っていたのです。
もちろん好感が持てるような。
私は熱心な読者ではありませんが、
エッセイはほとんど読んでいます。
その声のトーンと口調はとてもスマートで合理的で、
小説の世界に近いものでした。
考えてみれば、そうかもしれません。
しかし、驚きました。
私が10代の頃、熱心に聴いた中島みゆきと
尾崎豊のトークを初めて聴いたときは
やっぱり衝撃でした。
出演するラジオ番組を調べ、
ラジカセにカセットを入れ、
録音して聴きました。
ほとんどテレビに出ない彼等の肉声は
そうやって聴くしか無い時代。
コンサートに行けない僻地の人間にとっては
ラジオはとても有り難いメディアでした。
みゆきさんは歌のイメージとは全く違うし、
オザキはとてもナイーブな感じで、哲学的で、
後半の作品のイメージとリンクしていたように感じます。
意図していたかもしれません。
その後、みゆきさんのコンサートには何度か行きましたが、
ラジオのままの、いやそれ以上のテンションのトークでした。
動いている姿とか、話している様子とか、
比較的今と近い時代に生きていた表現者は
その作品に相関してイメージを持ちやすいですが、
例えばゴッホとか、ベートーベンとかは
それが叶いません。
その作品と数少ない肖像を基に、
その表現者のイメージを個々に持ちます。
現代はそれは至難の業です。
作品よりも”人となり”が全面に出てしまう時代。
それを助けるツールはいくらでもあります。
私は野球をよく観ますが、
いいプレイを観るのが好きで、
選手個人の性格にはあまり興味がありません。
もちろん性格から入る場合もありますが、
少ない気がします。
10代の終わり、好きだった落合博満を
初めて甲子園で観た時は
とても興奮しました。
いろいろ書きましたが、
作家と声、もしくは作品と声、
その関係は悩ましいものだなあと
改めて感じた夜でした。

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